【集団ヒステリー?】1518年に発生した死の舞踏、ダンシングマニア

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人々がある日突然狂ったように踊り出す、というなんとも不可思議な現象は「ダンシングマニア」と呼ばれ、過去ヨーロッパで度々発生した。
その中でも1518年にフランスの都市ストラスブール(当時は神聖ローマ帝国の一部)で発生したものは一際異彩を放っており、現代でも歴史に残る怪奇現象の一つとして語られている。

Credit:wikipedia

1518年7月、ストラスブールでFrau Troffea(フラウ・トロフィア)と云う一人の女性が突如路上で踊り始め、それは約一週間も続いた。
彼女が踊り続けていると、それを見かけた人々が徐々に仲間に加わっていき、その集団の規模は、数百人にまで膨れ上がったという。

路上で踊り狂う人々を見かけた町の役人達はその異様な光景に驚き、地元の医師に相談したところ、医師は「オーバーヒートした血が頭に上っている」ことが原因だとみなした。
そこで役人達はその踊りを止めさせるため、治療を試みた。その治療方法とは驚くべきことに、更に踊らせること、であった。
彼らは、わざわざステージを設営し、楽器隊を雇い、そこで踊らせた。こうすれば、そのうち疲れて踊るのを止めるだろうと考えたのである。

真夏の炎天下、その集団はステージ上でひたすら踊り続けた。絶え間ない半狂乱騒ぎによって、足から出血していようが、その踊りがやむことは無かった。

その結果は大方の予想とは異なるものだった。彼らは失神するか、もしくは死ぬまで踊り続けたのである。
役人達は自分たちの判断が間違っていたことを悟り、音楽の演奏を止めさせた。

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(図)ルカニアのヴィトゥス

その後彼らは、サヴェルヌの町の近くの丘にあるルカニアのヴィトゥスを祀った神殿に連れて行かれた。ルカニアのヴィトゥスはキリスト教の殉教者であり、踊り子や役者等の守護聖人とされている。
そして数週間が経った後、ようやくその半狂乱騒ぎは収まったという。

彼らは何故狂ったように踊り続けたのだろうか?その理由はさだかではないが、いくつかの仮説が立てられている。

・麦角中毒説
麦角菌とは、いくつかのイネ科の植物の穂に寄生する菌であり、この菌は精神異常、けいれん、意識不明などの毒性を示す。また、幻覚剤のLSDはこの麦角成分と関係が深い薬物である。
彼らが食していた穀物に、麦角菌が含まれており、それによって麦角中毒を引き起こしたのが原因ではないかという説だ。

・宗教的儀式説
彼らが、何かしらの宗教的な儀式として舞踏を踊っていたのではないかという説も考えられる。先述のルカニアのヴィトゥスは、舞踏によって人を呪う力があると信じられており、これが関係しているのでは、と唱える歴史家もいる。

・集団ヒステリー説
民衆の、疫病や飢饉、政治不安に対する怒り、苦しみが集団ヒステリーとなってこのような騒ぎにつながったのではないかという説も考えられる。
同様に集団ヒステリーが原因とされる事件として、江戸時代末期に日本で発生したいわゆる「ええじゃないか」騒動が挙げられる。

以上が、考えられる主な仮説だ。
1518年に発生したこの現象「ダンシングマニア」はまるでおとぎ話のようだが、実際に歴史的資料に記録されている史実であることは驚嘆に値する。

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