魔女裁判と言えば17世紀にマサチューセッツ州セイラム村で起きたセイラム魔女裁判が悪名高いが、同世紀にスペインのバスク地方でより大規模な魔女裁判が起きていたことはあまり知られていない。
スペインの宗教裁判所はカトリック教会と結びついており、教会の教えに反する人々はことごとく弾圧された。
この弾圧は主に、異端審問から逃れるためにユダヤ教の信仰を捨てカトリックに改宗したユダヤ人達に向けられていた。
カトリック教会はユダヤ人に改宗することを強いておきながら、異端審問では彼らは本心から信仰していないため殺されるべきだと主張した。
彼らは単純にユダヤ人を迫害する口実を探していただけだったのだろう。
異端者として告発されたものは法廷で証言することを命じられた。
しかし告発された時点で、いかなる証言をしようと有罪判決が下されるのはほぼ確定であった。
証言を拒否した場合、裁判所は自動的にその人物を異端者とみなし死刑判決を下した。
また、教会は宗教的な目的だけでなく、お金のために異端審問を行うこともあった。
彼らは異端者の財産を没収することが出来たので、異端審問でかなりの金額を稼ぐことが出来た。
このようにして、教会は素行の悪いカトリック教徒や、ユダヤ教徒、イスラム教徒、プロテスタント等をことごとく告発した。
その中には魔女も含まれていた。
有罪判決が下された異端者には、アウト・デ・フェと呼ばれる懺悔の儀式が行われた。
アウト・デ・フェは一般に公開され、見物人が集まりやすいように祝日や日曜日に行われた。
それはある種のお祭りのような行事であったという。
異端者は町へと行進させられ、有罪宣告が読み上げられると、観衆の前で火炙りにされた。
(画像)マドリードのマヨール広場で行われたアウト・デ・フェの様子
バチカンが公開した記録文書によれば、バスク魔女裁判において、約7,000人が魔術の罪で告発されたという。
また、そのうち十数人は裁判中の拷問で死亡したため、公開処刑では代わりにその人物を模った人形が町を行進し、火炙りにされたこともあったそうだ。
コメント