クルト・ゲーデルは20代の若さで「不完全性定理」を発表した、20世紀を代表する数学者の一人です。
しかし、晩年のゲーデルは精神を病み、妻が作った食事以外は一切口にしなかったと言います。
その妻が入院し食事を作れなくなってしまうと、ゲーデルは何も口にすることが出来ず遂には餓死してしまいました。
今回はそのような知性と狂気を合わせ持った数学者クルト・ゲーデルを紹介します。
ゲーデルは1906年、オーストリア=ハンガリー帝国のモラヴィア(現在はチェコ共和国に位置)に生れました。
幼少期からゲーデルは利口でしたが、神経質な一面もあったそうです。
家族は彼に「Mr. Why」という仇名をつけるほど、とにかく頻繁に質問をする少年でした。
また、幼少期に患ったリウマチ熱の後遺症は、ゲーデルを生涯に渡って苦しめたと言います。
ゲーデルはウィーン大学に入学後、1929年には23歳という若さで博士号を取得し、1931年には「不完全性定理」を発表します。
また、大学在学中、ゲーデルは生涯の伴侶アデルと出会います。
アデルはゲーデルより6歳年上の離婚歴のあるダンサーでした。彼の両親はアデルとの交際に反対しましたが、出会ってから10年後の1938年に二人は結婚し、残りの人生を共に過ごすことになります。
1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、ゲーデルは妻アデルと共にアメリカのニュージャージー州プリンストンに逃れました。
移住先のプリンストンでゲーデルはもう一人の偉大な科学者アルベルト・アインシュタインと出会います。
ゲーデルとアインシュタインはドイツ語話者の移民という共通点もあり、無二の親友となりました。
二人は毎日のようにプリンストン高等研究所まで徒歩で通いながら、母語であるドイツ語で会話していました。
また、アインシュタインはゲーデルがアメリカ市民権を取得する際の移民審査にも同伴しています。
そこではゲーデルが判事に合衆国憲法の欠陥を指摘したため、その場にいたアインシュタインらが慌てて場を取り繕うという一幕もありました。
この様に非常に親交の深かった両者ですが、その性格は対称的であったと言います。
アインシュタインが社交的でよく笑う人物であったのに対し、ゲーデルは孤独で厭世的な性格でした。
またゲーデルには庶民的な一面もあり、好きな映画は「白雪姫と七人の小人」だったそうです。
1955年にアインシュタインが亡くなると、ゲーデルはより一層塞ぎ込むようになりました。
また、晩年ゲーデルは何者かが自分を暗殺しようとしているという妄想にとらわれるようになります。
もし誰かがゲーデルと面会をする際は、例え彼と同じ建物の中にいたとしても、まず初めに電話をしなければいけませんでした。
そして待ち合わせ場所が決まったとしても、ゲーデルの気分が乗らなかった場合、彼がそこに現れることはありませんでした。
1974年にアメリカ国家科学賞を受賞した際も、ワシントンD.C.で行われた授賞式に出席することはありませんでした。
授賞式ではジェラルド・フォード大統領が直々に賞を授与する予定でした。
また外出時は病気に感染することを恐れ、常に鼻を覆うフェイスマスクをしていました。
毒ガスによる暗殺を恐れたために、部屋の窓は冬でも開け放たれていました。
食事も妻アデルが作り、かつ最初に毒見をしたもの以外は一切口にしませんでした。
1977年にアデルが入院すると、ゲーテルは何も口にすることが出来なくなり、見る見るうちにやせ細っていきました。
すぐに病院に搬送されますが、その2週間後に亡くなってしまいます。
死亡診断書には「パーソナリティ障害による栄養失調」と記されました。
この時ゲーデルは71歳で、死亡時の体重は約29.5kgしかなかったと言います。
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