【拷問】中世イングランドで大逆罪の死刑囚に行われた「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」とは【閲覧注意】

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中世ヨーロッパでは、数々の残酷な処刑が行われていた。当時、最も苦痛が少ないとされる処刑方法は斬首であったが、罪の重い罪人や反逆者は見せしめとしてあえて必要以上の苦痛を味わわされ処刑された。
その中でも特に有名なのは、中世イングランドの「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」だろう。
中世イングランドで最も重い罪は大逆罪(国王に対する犯罪のうち特に罪の重いもの)であり、その罪を犯した者は「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」に処された。
それは首吊り・内臓抉り・四つ裂きが段階的に行われるという処刑方法である。

Credit:wikipedia

(画像)大逆罪に問われたThomas Armstrongの処刑

死刑囚はまず首吊りの刑に処されるが、多くの場合、この刑で死刑囚が命を落とすことはなかった。
死刑囚が息絶える直前に、死刑執行人が縄を切断して解放していたからである。

そして縄を解かれた死刑囚を次に待っているのは最も残酷な内臓抉りの刑であった。

死刑囚は生きたまま内臓を抉られ、その内臓は火の中に放り込まれ燃やされた。
余談だが内臓抉りの刑は英語では「Drawn(引っ張る)」と呼ばれる。これは元々は内臓抉りではなく、死刑囚を馬に括り付けて処刑場まで引きずっていくという行為を意味していた。
しかし次第に「Drawn(引っ張る)」の意味が変化し、死刑囚のはらわたを生きたまま引きずり出すという処刑方法を「Drawn」と呼ぶようになった。

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(画像)馬に引きずられ処刑場に運ばれるWilliam de Marisco

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(画像)内臓抉りの刑

内臓を抉られた死刑囚は首を刎ねられ、その後四つ裂きの刑に処された。
四つ裂きの刑はその名の通り、死刑囚の体を四つ以上の断片に切り刻むという処刑方法である。
切り刻まれた体の断片は、見せしめとして大衆に晒し物にされた。

この刑による最も有名な犠牲者はウィリアム・ウォレスだろう。
スコットランドの騎士であるウィリアム・ウォレスは、スコットランド人の愛国精神を鼓舞しイングランドの支配に抵抗したため大逆罪に問われた。
ウォレスは4頭の馬にそれぞれの手足を繋がれ、四つ裂きにされたという。この処刑方法は王が特に嫌悪する罪人に対して行われた。
その後、引き裂かれたウォレスの体は他の反逆者に対する警告及び見せしめとしてイングランドやスコットランドの4箇所に晒された。

「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」はイギリスのみならず、ヨーロッパ全土を通して行われていた。
そして、最終的に法律で禁止されるまで、約500年もの間続けられていたという。

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