オーストリア大公マリア=テレジアの画期的な感染症対策について

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ヨーロッパで猛威を振るった黒死病の流行は、オスマン帝国では19世紀まで続いていた。
オスマン帝国と国境を接していた当時のオーストリア大公マリア=テレジアにとって、国境を越えて自国に疫病が入り込むことは何としても避けたいことであった。
そこでマリア=テレジアが取った疫病対策は、現代にも通用する非常に効果的なものであった。

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まずマリア=テレジアは1770年、オーストリアとオスマン帝国の間に非常線を張り国境を封鎖した。
その非常線は1,600キロメートルに及び、境界線沿いに両国の兵士が配置されていた。人や物がその境界線を越える際は、疫病に感染していないか検疫が行われた。
まず、境界線を越えようとする者は一定の間、隔離されることになる。隔離期間は、オスマン帝国側で疫病が流行している場合は48日、していない場合は21日であった。
持ち込まれた織物や羊毛についても、倉庫に保管され疫病に汚染されていないか調べられた。
その方法とはなんと、農民に賃金を支払ってその織物や羊毛の上で寝かせるというものであった。
そして数日が経過しても農民が健康であった場合、それらは安全であると判断されたのである。
人を実験台にするとはなかなかえげつない。

しかし、これらの方法は実際に功を奏し、オスマン帝国からオーストリアに疫病が持ち込まれることは無かった。
この逸話からも、マリア=テレジアの名君ぶりが窺える。

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