かつてアケメネス朝ペルシアに不死隊と呼ばれる部隊が存在した。
1万の歩兵から編成されるこの精鋭部隊はペルシア帝国の勢力拡大に重要な役割を果たし、ギリシアの歴史家ヘロドトスからアタナトイ(不死身)と名付けられた。
なぜ不死身なのか?
その理由は部隊の編成にある。不死隊の兵士が戦場で死傷し隊列を離れても、すぐに予備兵が隊列に加わり、常に1万人の隊列を維持していたため、敵からはまるで不死身の部隊の様に見えたためだとされている。
兵士は主にペルシア人であったが、メディア人やエラム人等他の民族も加わっていた。
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(画像)メディア人(左)とペルシア人(右)の兵士。不死隊であるという説がある。
(画像)メディア人(左)とペルシア人(右)の兵士。不死隊であるという説がある。
兵士達の練度は高く、鎧は金色に輝いていたという。ヘロドトスの描写によれば、彼らの装備は槍、剣もしくは短剣、弓矢、木の枝で編まれた盾等であった。
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(画像)ダレイオス1世の親衛隊。彼らの外観は不死隊のそれと一致している
(画像)ダレイオス1世の親衛隊。彼らの外観は不死隊のそれと一致している
遠征の際は女性や召使を乗せた馬車が同伴するなど特別な待遇を受けており、不死隊に選ばれることは名誉なことであった。
以下が不死隊が参加したとされる主な戦いである。
・キュロス2世の新バビロニア征服(紀元前539年)
・カンビュセス2世のエジプト征服(紀元前525年)
・ダレイオス1世のインドとスキタイへの遠征(紀元前513年)
・テルモピュライの戦い(紀元前480年)
テルモピュライの戦いでは、ギリシア軍は狭い街道を塞ぐことによってペルシア軍の侵攻を防いでいたが、不死隊が別ルートから迂回しギリシア軍を後方から攻めたとされている。
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(画像)現代に再現された不死隊。イラン建国二千五百年祭典にて
(画像)現代に再現された不死隊。イラン建国二千五百年祭典にて
ヘロドトスの記述以外に不死隊について記された資料は少なく、その詳細は不明な部分も多いが、その存在は古代から強烈な印象を残していた。
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